東京地方裁判所 昭和62年(ワ)7341号 判決 1988年8月29日
原告 有限会社ミツ・エンタープライズ
代表取締役 土屋勝彦
訴訟代理人弁護士 神岡信行
被告 岩瀬元三千
訴訟代理人弁護士 樋口光善
石川善一
主文
一 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡し、昭和六二年五月九日から明け渡し済みまで、一ヶ月金三万円の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
三 この判決は、仮に執行することができる。
四 但し、被告が金三〇〇〇万円の担保を供するときは、仮執行を免れることができる。
事実
一 原告の請求の趣旨
主文第一項から第三項までと同じ。
二 原告の請求原因
(一) 別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という。)は、深野文之助の所有であった。
(二) 文之助は、本件建物につき、平和信用組合に対して根抵当権を設定し、昭和四七年六月二九日その登記手続きをした。
(三) 平和信用組合は、昭和五八年七月一一日、本件建物について、競売の申し立てをし、翌一二日東京地方裁判所の競売開始決定による差押えの登記がされた。
(四) 原告は、昭和六二年五月七日上記の競売手続きにおいて、本件建物の買い受け人として代金を納付し、同月八日所有権移転登記を得た。
(五) 被告は、「岩瀬商事」の看板を掲げ、同人の従業員とともに、本件建物を事務所兼住居として、使用占有している。
(六) 本件建物の賃料相当額は、一ヶ月金三万円である。
三 請求原因に対する被告の認否
(一) 請求原因(一)から(四)までの事実を認める。
(二) 請求原因(五)の事実を否認する。後記の通り全焼した後被告が新築した別個の建物を占有しているものである。
四 被告の抗弁
(一) 本件建物は、昭和六〇年一二月一八日火災により全焼し、滅失した。
(二) 松本耕一は、昭和五六年一〇月頃深野文之助から本件建物を譲り受けその敷地を同人から転借し(深野に対する賃貸人は、鈴木鍵次郎である。)、さらに昭和五六年一一月頃被告は、本件建物及び上記の敷地転借権を松本から買い受けた。被告は、本件建物の所有権に基づいて占有しているものである。
(三) 被告は、本件建物を保存するため、火災の直後二八〇万円を費やして、大修繕をした。被告は、本件建物につき、この必要費の償還請求権を被保全権利とする留置権を有するから、その支払いと引き換えにのみ、明け渡す義務があるのにとどまる。
(四) 松本耕一と佐藤哲太郎は、昭和五六年一〇月一日本件建物を、期間昭和五九年九月三〇日までの三年間、賃料一ヶ月五〇〇〇円、賃借権の譲渡、転貸自由の約定で、深野文之助から借り受け、被告は、昭和五七年一一月一日右賃借権を譲り受けた。執行裁判所は、差押え前から右の賃借権が存在することを認め、これを是認した上で、物件の価格を認定して、売却したものであるから、被告は、賃貸借契約を解除されない限り、右賃借権をもって、原告に対抗することができる。
五 抗弁に対する原告の認否及び反論
(一) 抗弁(一)の事実は、否認する。上記の火災では、一部が損傷したのみである。
(二) 抗弁(二)の事実を争う。被告は、債権回収目的であるため、短期賃貸借制度の保護を受けられない賃貸借契約によって本件建物を占有していたもので、占有権限のないものである。仮に被告の主張する本件建物についての譲渡があったとしても、対抗要件である登記を経ていない。
(三) 抗弁(三)の事実のうち、被告が大修繕をし、金二八〇万円を費やしたとの事実は争うが、修繕したことは認める。しかし、被告は、その占有を始めたとき、原告に対抗できないことを知悉していたもので、そのような不法占有中に建物について修繕費を支出しても、その費用については、民法二九五条二項の規定により、留置権を主張することはできないものと解すべきである。
(四) 抗弁(四)の事実を争う。被告は、深野にたいする債権者である松本、佐藤が貸金の担保として所有していた書類を買取り、立ち退き料を得るか、有利に競落するなどの不法な目的で、本件建物の占有を開始したもので、占有権限の無いものである。執行裁判所は、被告の占有権限を是認してはいない。
六 証拠の関係《省略》
理由
一 原告の請求原因(一)から(四)までの事実は、当事者間に争いがない。
二 被告は、抗弁として、本件建物が火災により全焼し、滅失したと主張するので、判断する。
証拠によれば、次の事実を認めることができる。
(その認定に供した証拠は、認定事実の次に掲げる。書証の成立についての説示のないものは、成立に争いのない書証である。以下同じ。)
本件建物は、昭和六〇年一二月一八日隣家の火災により一部延焼したが、その際焼けたのは、二階の天井、柱、内壁等の一部であり、被告は、損傷部位を角材、合板、化粧ベニヤ板、サッシ等で補修し、ペンキで塗り替えるなどして使用している。(《証拠省略》には全焼との記載があり、《証拠省略》中には全焼した旨の供述があるが、《証拠省略》と対比して、採用できない。)
証拠《省略》
以上認定したところによれば、本件建物は、一部火災により損傷したところもあるが、なおその主要部分は、従前のままであって、建物としての同一性を保ちながら、いまなお存続しているものと認められる。
そして、被告は、本件建物に「極東真誠会岩瀬商事」(露天商などへのおもちゃなどの卸売業)の看板を掲げて、その従業員を住まわせながら、本件建物を占有、使用していることが認められる(《証拠省略》)。
三 次に、被告は本件建物を松本から買い受けてその所有権を取得したと主張するが、《証拠省略》においても、被告が本件建物を買い受けたのか、本件建物の賃借権を譲り受けたのかは明確でなく、そのほかに被告の主張事実を認めるべき証拠は見当らない。
四 さらに被告は、抗弁として、火災によって損傷した本件建物を修繕して、必要費を支出したので、これを被担保債権として、留置権を行使すると主張するので、判断する。
証拠によれば、次の事実を認めることができる。
松本耕一及び佐藤哲太郎の両名は、昭和五六年一〇月一日、当時の本件建物の所有者である深野文之助に対し多額の貸金があったので、深野との間で、本件建物について、期間三年の短期の賃貸借契約を結び、翌月一日には、その賃借権を被告に譲渡したが、この賃借権は、本来の短期賃貸借制度の予定しない債権の回収を目的にし、また、抵当権の担保価値を減殺する結果をもたらすものであった(実際にも本件火災前の最低売却価格の評価では、相当のマイナス要因になっている。)。
証拠《省略》
民事執行の手続きにおいては、このような乱用的な短期賃借権者は、もとより無権利者として扱われるのであり、実体法上も抵当権者や買い受け人に対しては、無権利者として処遇されるが、上記の証拠を総合すると、被告は、本件の短期賃借権が上記の内容のものであることを知っていたか、知らないとすれば過失があったものと認められる。
ところで、建物が火災にあって損傷した場合に、正当な賃借人(法律上保護の対象となる短期賃借人を含む。)がこれを補修したときには、その建物の保存に必要な範囲で、必要費の償還を賃貸人に請求することができ、またその後建物が競落されたときは、買い受け人にもその償還を求めて留置権を行使することができるものと解すべきである。しかし、もともと留置権の制度は、正当な権利者の請求権の実現を確保するために、目的物全体の引渡しを拒むという強力な権利を認めるものであるが、占有が不法行為によって始まった場合はもとより、占有する権利のないことを知っている場合や、過失によって知らない場合には、自分の側に占有があることを特に有利に使うことを認めるのは当事者間の衡平の見地からみて問題があるので、民法二九五条二項の解釈上留置権の主張をすることは認められていないものである。
しかして、短期賃借権の保護という法律制度を乱用するものとして、抵当権者や買い受け人に対する関係で建物の占有権原を認められない者は、抵当権者や買い受け人との関係では、建物の不法占有者に当たるのであって、そのような者が、たとえ建物の保存のための必要費を支出したとしても、その請求権を確保するために、その建物の占有が自分の側にあることを特に有利に利用することを認めることが相当とは言えないことは、通常の不法占有者の場合と異なるところはない。したがって、建物について乱用的な短期賃借権の設定を受けた者及び乱用的なものであることを知り、または過失によって知らないでその占有を承継した者は、たとえその建物の補修のため必要があって費用を支出したものであったとしても、その費用の償還を受けるために、抵当権者や買い受け人に対して、留置権を行使することはできないものと解するのが相当である。
以上のように考えられるから、被告のこの点に関する抗弁は、そのほかの点について判断するまでもなく、失当であって、採用することができない。
五 被告は、執行裁判所が被告の譲り受けた賃借権を是認した上、本件建物の価格を算定しているとし、そのことを前提に、本件建物の占有権限があると主張する。
しかし、《証拠省略》の物件明細書には、被告の主張する賃借権を債権回収目的のものと認めるとの記載があって、執行裁判所が賃借権の存在を是認したものでないことは、明白である。また、《証拠省略》の不動産評価書には、被告の主張する賃借権を買い受け人に対抗できないものと認める旨の記載があり、賃借権の存在を前提とした評価はなされていない。
このように、被告の主張は、前提を欠き、採用することはできない。
六 本件建物の賃料相当額については、《証拠省略》により、一ヶ月金三万円を下回ることはないものと認められる。
七 以上認定、判断したところによれば、原告の請求は、すべて理由があるから、これを認容すべきものである。
よって、仮執行及びその免脱の宣言について、民訴法一九六条を適用して、主文の通り判決する。
(裁判官 淺生重機)
<以下省略>